力道山(역도산) 死後(昭和39年~)

力道山死後から現在まで。力道山の孫はどうしてるのか?


力道山死後(昭和39年~)

昭和39年
1964/03/25
娘・浩美 誕生
 
1964/10/10
日本:東京オリンピック開会式
北朝鮮はボイコットし選手引き揚げ
昭和40年
1965/06/22
日本・韓国:「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約ja.wikipedia」(通称:日韓基本条約)
 
1965/12/15
三回忌、東京池上本願寺
昭和41年
1966/6/29
日本:ビートルズ初来日
翌6月30日から3日間日本武道館で公演
 
1966
吉原功が国際プロレスを設立。力道山の死後、借金の返済に奔走するも、遠藤幸吉らと対立し、辞職。自らプロレス団体を設立した。旗揚げ戦は、東京プロレスと合同で、翌年1月18日に東京都浅草台東区体育館で行った。
昭和43年
1968/1/21
韓国:青瓦台襲撃未遂事件 
北朝鮮武装ゲリラ隊31名、ソウル青瓦台襲撃を試み失敗
昭和44年
1969/01/28
力道山の死亡診断書
  診断書
 姓名 百田光浩殿
 病名 穿孔性腹膜炎
 治療 昭和38年12月9日ヨリ
 附記 右疾患にて入院治療せしるも昭和38年12月15日死亡す。
 右ノ通及診療候也
 昭和44年1月28日
 東京都港区赤坂八丁目五番地三五号
 山王病院
 電話(四〇二)三一五一‐五百
 医師 長谷和三
 
1969/07
NETテレビ(現テレビ朝日)「ワールドプロレスリング」中継放送開始 日本テレビとの2局化が始まる。
 
1969/12/10
北朝鮮:大韓航空機YS-11ハイジャック事件:北朝鮮の諜報員によって平壌にハイジャック。乗員乗客51名中12名が未帰還。機体は日本製YS-11が強奪されたことになる。
昭和45年
1970/03/31
日本:よど号ハイジャック事件:
昭和46年
1971/03
北朝鮮:『朝鮮日報』記事「敬愛する首領は力道山の愛国精神を高く評価して、一九七一年三月、主席の名によって授けられる烈士証を平壌にいる彼の娘に与えた」
 
1971/05/12
国内:1968年から中断していた北朝鮮への帰国事業再開
 
1971/06
国内:貿易会社ユニバース・トレイディング社設立(東京都品川区):実態は工作組織
朝鮮総連の金炳植(キム・ビョンシク)第一副議長(当時)によって設立された。
 
1971/12
日本プロレス猪木を除名
昭和47年
1972/01/13
猪木が新日本プロレス設立
 
1972/03/06
猪木の新日本プロレス旗揚げ戦 東京・大田区体育館 この時テレビ局はつかず…
 
1972/04/15
北朝鮮:金日成 還暦祝賀行事を盛大に催す。
 
1972/05
NETテレビが馬場を放送 日本テレビはこれに激怒しプロレス中継打ち切りを決行
 
1972/07/04
南北朝鮮:「南北共同声明発表」
 
1972/10/21
馬場の全日本プロレス旗揚げ 日本テレビが中継
 
1972/12/28
北朝鮮 新憲法「社会主義国憲法」公布、金日成国家主席の誕生:独裁権力強化
昭和48年
1973
新日本プロレスは日本プロレスから坂口征二を引き抜きと同時にNETテレビ中継を開始
 
1973/04/20
群馬県吉井町大会(「アイアン・クロー・シリーズ」最終戦)を最後に日本プロレス崩壊
 
1973/06
北朝鮮:拉致 渡辺秀子さんの夫・高大基氏(在日朝鮮人:ユニバース・トレイディング社専務)が突如失踪
 
1973/08/08
国内:金大中拉致事件:日本グランドパレスホテルでKCIAによって拉致、ソウルにて監禁(軟禁状態)された事件。
 
1973/12
北朝鮮:拉致 渡辺秀子さんと長女・敬美(きよみ)ちゃん(当時6歳)、長男・剛(つよし)ちゃん(当時3歳)が、夫(高大基)の努めていたユニバース・トレイディング社の工作員によって拘束される。
昭和49年
1974/02
北朝鮮:朝鮮労働党中央委員会第五期第八回総会において、金日成の後継者として息子の金正日(김정일)が「推戴」された。
 
1974/08/15
国内:北朝鮮に抱き込まれた在日韓国人・文世光による朴正煕大統領狙撃事件(夫人が射殺される)。拳銃は大阪の交番で盗まれたもので、文は北朝鮮工作員の指示を受けていたとされ、この工作員が万景峰号を通じ日本国内での銃の調達などの指令を出していたという。
昭和50年
1975/12/11
「力道山十三回忌追善特別試合」日本武道館にて開催
このときの『大木金太郎VSアブドーラ・ザ・ブッチャー』戦で場外乱闘でエキサイトしたブッチャーが百田義浩に暴行を加え流血事件となる。これをきっかけに息子義浩はプロレスラー転向を決意し、アメリカへ修行に出た。
昭和51年
1976/06/26
A・猪木 格闘技世界一決定戦(異種格闘技戦) VS.モハメッド・アリ 『世紀の凡戦』と酷評されるが…。
昭和52年
1977/02
北朝鮮:元スナック店主八尾恵北朝鮮入国。後に有本恵子さん拉致に加担する。
 
1977/08
韓国:北朝鮮・拉致 韓国全羅南道紅島から高校生、李_校(イーメンギョ)崔承民(チェスンミン)失踪
 
1977/10/21
北朝鮮:拉致 松本京子さん鳥取県米子市で拉致される。
 
1977/11/15
北朝鮮:拉致 横田めぐみさん新潟県内で拉致される。
昭和53年
1978/06
北朝鮮・拉致 田口八重子さん東京都内で拉致される。
この年は、
6/8神戸市のラーメン屋店員、田中実さんが成田から出国をはじめ、
7/7地村保志さん、浜本富貴恵さん福井県内で拉致される、
7/31蓮池薫さん、奥土祐木子さん新潟県内で拉致される、
8/21市川修一さん、増元るみ子さん鹿児島県内で拉致される、
8/12曽我ひとみさんと母のミヨシさん新潟県内で拉致される、
8/15富山県内でアベック拉致未遂事件
と立て続けて被害者が続出している。
また韓国でも4件の拉致被害が報告されている。
昭和55年
1980/01/07
国内:経済新聞が一面トップ記事で北朝鮮拉致疑惑を報道(当時は『外国情報機関の関与』としている)記事全文
 
1980
北朝鮮:金正日が朝鮮労働党中央委員会第六期第一回総会で党中央委員会書記となる。
 
1980/06
北朝鮮:拉致 原敕晁さん、辛光洙によって宮崎県内で拉致される
昭和58年
1983/07
北朝鮮・拉致 有本恵子さんヨーロッパにて拉致される。
昭和60年
1985/04
韓国:韓国当局が原敕晁さんを拉致した辛光洙を逮捕
昭和62年
1987/11/27
北朝鮮:大韓航空機爆破事件。ソウル五輪妨害を目的に、日本旅券(蜂谷真由美:実在の日本人名)を利用した北朝鮮工作員(金賢姫:김현희 キム・ヒョンヒ)の犯行
昭和63年
1988/01/15
北朝鮮:大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚が『李恩恵(륌은혜リ・ウネ)』(=田口八重子さん)の存在を証言
 
1988/03/26
日本:国会 共産党の橋本敦参院議員が拉致疑惑を全面的に取り上げる。
当時の梶山静六国家公安委員長が「北朝鮮の疑いが濃厚」と答弁
 
1988/05/25
日本:八尾恵(よど号犯柴田泰弘の妻)が神奈川県警外事課に逮捕される
 
1988/09/17
韓国: ソウルオリンピック開催
平成元年
1989/01/08
昭和天皇崩御(S64/01/07)の翌日の東スポ一面は「ブッチャ-流血」だった
 
1989/07/23
A・猪木「スポーツ平和党」を結成し、第15回参議院選挙比例区で99万3989票獲得し初当選(史上初のレスラー出身の国会議員となる)
当時の比例区は政党名の投票にも拘らず個人名を書いた無効票が大量に出た。ちなみにこのときは衆参同時選挙だった。
 
1989/11/09
(東西)独: ベルリンの壁崩壊
平成2年
1990/09/24
金丸信副総理、田辺誠社会党委員長ら訪朝。国交樹立のための政府間調整で合意
 
1990/09/24
故・金丸信元副総理、田辺誠社会党副委員長らが訪朝。国交樹立のための政府間交渉開始で合意(~28)
 
1990/09/28
国内: 朝鮮労働党と自民党、社会党訪朝団の3党共同宣言
 
1990/09/30
韓国:ソ連と国交樹立
平成3年
1991/01/30
国内:第1回日朝国交正常化交渉(平壌)開催
以降、92年11月の第8回まで国交正常化交渉が続くが、第8回で日本側が『李恩恵』問題を提起すると北朝鮮側は退席。交渉が中断する。
 
1991/09/17
韓国・北朝鮮:南北国連同時加盟
 
1991/12/11
韓国・北朝鮮:南北首脳会談(~13日)
 
1991/12/27
ソ連:崩壊、独立国家共同体が誕生
平成4年
1992
北朝鮮: 金正日は、統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル(約4400億円)もの援助を取り付ける。
 
1993/03/31
米ロス郊外スタジオシティにあるホテル「ザ・スポーツマンズ ロッジ」で行われた『ザ・カリフラワー アレイクラブ』創立二十六周年パーティーに、百田玲美(孫娘:故百田義浩氏の長女)さんがゲストとして参列。
玲美をホストしたのはデストロイヤーだ。その他、“鉄人”ルー-テーズ、“ユーゴの荒鷲”ラッキー・シモノビッチ、“喧嘩狂”ハードボイルド・ハガティ、“閃光男”アート・マハリック、“帝王”バーン・ガニア、“鳥人”ダニー・ホッジ、“人間風車”ビル・ロビンソン、“テキサスの荒馬”テリー・ファンク、ペッパー・ゴーメッツなど蒼々たるメンバーが力道山との思い出を話した。
平成5年
1993/04/18
木村政彦氏(柔道家・柔道7段) 死去。享年75歳ja.wikipedia
平成6年
1994/07/08
北朝鮮: 金日成死去
 
1994/09
猪木議員が初の訪朝を果たす
平成7年
1995/04/28-29
A・猪木が提唱し北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)平壌にて「スポーツと平和の祭典」開催 2日で38万人動員
 
1995/07/23
A・猪木 第17回参院選落選
平成8年
1996/06/30
メモリアル力道山 横浜アリーナ
平成9年
1997/01/23
国内:西村真悟議員が国会に『北朝鮮工作組織による日本人誘拐拉致に関する質問主意書』を提出。以後現在まで各種答弁書・意見書を提出している。
 
1997/10/07
北朝鮮: 金正日が朝鮮労働党の総書記長に就任
 
1997/12/09
国際: 韓・朝・米・中の4者会談の第1回会談開始
平成11年
1999/01/31
ジャイアント馬場 大腸癌(上行結腸腺癌)の肝転移による肝不全により死去。享年61歳。
生涯現役のまま逝去した(逝去後に引退セレモニーが執り行われた)。
平成12年
2000/03/11
第二回メモリアル力道山 横浜アリーナ
 
2000/11/22
息子の百田義浩死去。
 
2000/12
国内: 朝銀近畿二次破綻
平成13年
2001/08
国内: 朝銀関東、破綻
 
2001/11/26
国内: 朝銀に2898億円の公的資金を投入
 
2001/11/29
国内: 朝鮮総連本部に警視庁の強制捜査
平成14年
2002/09/17
国内: 小泉純一郎総理が平壌を訪問し、金正日と会談。日朝平壌宣言
 
2002/09/30
北朝鮮(韓国): 北朝鮮の孫娘・パク・ヘジョン(29) 釜山アジア大会女子重量挙げ監督として参加
平成15年
2003/12/11
没後40年 力道山追悼興行「源流」 東京・後楽園ホール
平成16年
2004/09/
国内: A・猪木 北朝鮮平壌 第一回国際武道競技大会参加
平成18年
2006/08/22-
国内: A・猪木 北朝鮮平壌 第二回国際武道競技大会参加
 
2006/10/26
韓国: 大木金太郎(本名:金 一、キム・イル、김일)慢性心不全と腎臓血管異常による心臓麻痺により死去。享年77歳。
結局『力道山』襲名は果たせなかった。
奇しくも朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の命日(1979暗殺される)だ
平成19年
2007/07/24
孫息子・田村圭投手が高校野球神奈川県大会で血染めの力投
因みに、プロレス界では田中敬子は力道山死後百田家から籍を田中に戻していることなどから、力道山の末裔とは見なしていない。
 
2007/07/28
カール・ゴッチ死去 (日本時間29日) 一般紙にも顔写真付で掲載された(らしい)。死因は「大動脈瘤破裂」らしい(というのは元ネタが東スポだから)
 
2007/10/30
孫息子・田村圭 第二弾:高校野球秋季関東大会で慶応高(神奈川)が4強入りし、来春の第80回選抜高校野球大会出場を確実にした。
平成20年
2008/03/26
孫息子・田村圭 第三弾:第80回選抜高校野球大会出場。大会5日目第二回戦 慶応(神奈川)対華陵(山口)は、 慶応田村が5回1失点の好投するも、味方の援護がホームベース上でのクロスプレーでアウトになり得点ならず。甲子園での勝ち星をあげることなく敗退した。
平成22年
2010/06/07
7日の北朝鮮最高人民会議で、力道山の娘婿、朴明哲(パクミョンチョル)・国防委員会参事(68)が体育相に任命された。
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